「 捕鯨、怯まず正しさを主張せよ 」
『週刊新潮』 2010年3月4日号
日本ルネッサンス 第401回
2月21日、豪州を訪れた岡田克也外相は、西海岸の町、パースでスミス外相と会談した。世界屈指の美しさで知られるパースの自然とは対照的に、会談では鯨問題を巡る険しい対立が浮き彫りにされた。
南極海での日本の調査捕鯨に対して、米国の反捕鯨団体シーシェパード(SS)の妨害が続いているのは周知のとおりだ。SSは、本部を米国に置き、カナダ、豪州、ニュージーランドなど複数国のメンバーで構成する。彼らの3隻の船籍はオランダ、ニュージーランドに分散されている。
SSの活動は豊富な資金に支えられ、年々激化してきた。失明の恐れのあるレーザー光線を捕鯨船に向けて発したり、スクリューに巻きつけようと船の後方にロープを投げ入れたり、人命損傷や船の大破につながりかねない攻撃はテロに等しい。
にも拘らず、SSに、日本の捕鯨船攻撃のための「母港」を提供する豪州政府は、日本政府の出入港の禁止の要請を拒否し、国際司法裁判所に日本を提訴すると表明した。
本来なら貿易、環境、安全保障面で二国間関係を深める前向きの協議にならなければならないところを、両国外相会談は鯨問題で躓き、むしろ、摩擦を生み出しつつある。
私は、捕鯨問題からどうしても満州事変を連想してしまう。ワシントン体制で定められた国際条約を踏みにじり、日本を挑発し続けた中国に、日本が遂に行動を起こしたのが同事変である。駐中国米公使マクマリーは、事変を起こした日本を厳しく批判しながらも、そこに至るまでに、いかに日本が国際条約を守ろうと誠実に努力したかを強調したうえで、「満州事変は中国が自ら蒔いた種を刈り取っているようなものだ」と述べた。真の責任は中国にあると断じたわけだ。が、国際社会は中国に同情し、日本を悪者扱いした。
中曽根元首相の妥協
捕鯨問題では、国際捕鯨委員会(IWC)の決定から見ても、国際法から見ても、正しいのは日本である。間違っているのはSSと彼らを支える反捕鯨諸国である。しかるに、国際社会にテロリストと見紛うSSへの支援の輪が厳然として存在するのはなぜか。38年間、捕鯨問題を研究してきた水産ジャーナリストの会会長の梅崎義人氏は、日本政府の重ねた妥協が原因だと語る。
「IWCは1982年に、3年後の85年から商業捕鯨を中止してモラトリアムに入ると決定しました。しかし、モラトリアムに必要なIWC科学委員会の勧告は得られず、同宣言は無効のはずでした。このとき日本は決定に異議を申し立てて商業捕鯨を続けようとした。事実、ノルウェーはIWCの決定を不当として従わず、現在も商業捕鯨をしています」
が、思わぬことが起きた。日本政府が腰砕けになったのだ。
「異議申し立てに、官邸から中止の指示が下ったのです。中曽根康弘元首相でした。米国も、日本が異議申し立てで商業捕鯨を続けるなら、米国の海岸から200海里以内の日本の操業を禁止すると、強い圧力をかけました。日本は引き下がりましたが、ノルウェーは、捕鯨をやめればシシャモが全て鯨に食べられて沿岸漁業が潰れるとして突っぱねたのです」
85年といえば、中曽根元首相の靖国神社参拝を、中国が初めて批判した年だ。氏は批判に屈して翌年から一切の靖国参拝をやめた。以来、中国は日本非難の靖国カードを手に入れ、今日に至る。
中曽根元首相は、氏の国際外交の基本は「右手に禅、左手に円」だと述べた。日本文化を高く掲げ、経済力と合わせて国際社会に地位を築くという意味だ。実際には、しかし、氏は日本の価値観の象徴である靖国参拝を放棄し、伝統的食文化を支える捕鯨でも、妥協していたわけだ。
こうして日本は商業捕鯨から撤退し、87年から調査捕鯨の時代に入った。確かなことは、調査捕鯨はIWCが認める合法活動だということだ。だが、SSもグリーンピース(GP)も違法かつ危険な妨害をやめないのである。
この1年、政府は一体どんな手を打ってきたのか。梅崎氏が語る。
「政府はオランダ政府にはSSの船の船籍剥奪を、豪州政府にはSS船の豪州の港への出入りを禁止するよう、要請してきました。けれど、両国から回答はなかったのです」
回答も得られず、1年が過ぎた。そして昨年10月に来日したオランダ首相、バルケネンデ氏に鳩山由紀夫首相が「旗国としてのきちんとした対応」を求めた。オランダ政府は今年2月5日までに、妨害船の船籍剥奪を可能とする船籍法の改正案を議会に提出した。対照的なのが豪州政府だ。前述のように、岡田外相に「出入港を禁止する法的根拠はない」と、拒否回答をした。
無意味な個人的嗜好論
ケビン・ラッド労働党党首は07年の総選挙で「日本の調査捕鯨の違法性を国際法廷で訴える」との公約を掲げ、環境団体の支持も得て、首相に就任した経緯がある。政権には、GPの元理事、ピーター・ギャレット氏が環境大臣として入閣している。
親中派のラッド政権は、誕生当初から厳しい対日政策を展開し、政権発足翌年の春、18日間の外遊に出たが、欧州、米国、中国を訪れながら、日本には立ち寄りもしなかった。
GPとSSは、表向き別団体ではあるが、両者は協働関係にあると見てよいだろう。過激で、違法行為も厭わない両団体に代表される環境保護勢力が、ラッド首相の有力支援団体のひとつであるなら、同首相は政治的思惑からも、日本に不当な圧力をかけ続けると考えてよいだろう。
では、日本政府はどう対応すべきか。まず何よりも事実を前面に押し出し、日本の立場を主張しなければならない。IWCの科学委員会は、日本が実施してきた精緻な調査結果を非常に高く評価し、一定数の鯨の捕獲を必要と認め、支持してきた。だが、総会では、科学が置き去りにされ政治的思惑が前面に躍り出る。
それでも、SSなどの挑発に乗って力による紛争を起こすことは得策ではない。その代わり、断固たる法的措置と、なお粘り強く、決して負けない説得が必要となる。鯨が食べる魚の量は年に約4億トン、人類の年間漁獲高9,000万トンを大幅に超えていることなど、日本の科学調査結果の周知徹底とともに、日本の食文化として鯨の位置づけをこそ、語らなければならない。
幸いにも、豪州にも米国にも、一方的に日本を非難するだけではないメディア論調もある。鳩山首相は先のオランダ首相との会談で、「自分自身は鯨肉は大嫌い」と語ったそうだが、無意味な個人的嗜好論から離れ、国際政治は「友愛」だけでは片づかないことを肝に銘じるべきだ。日本の立場を主張する首相としての原点に立つことである。